インドの家庭音楽について
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家庭音楽について
日本音楽の特質
インドの音楽事情
北インドの音楽の歴史や種類
演奏方法
インドの音階と音程の問題
各国の音楽の要素を分析
インド古典音楽の普遍性
インドのリズム
インドでの体験から
最後に

家庭音楽について

 ここでは、現在よく「コンサート」や「ライブ」とかの言葉がメディアを駆け巡り、どうかすれば「人前」でやらなきゃ「意味がない」というようなことまで言われそうな音楽状況の中、「家庭音楽」という切り口で、いろいろ思うこと、自分なりの分析を、体験を交えながら書いて行こうと思います。従って、あちこちいろんなことに触れながら進み、趣旨が掴みにくい面もあるかと思いますが、インドだけではない、日本文化にもメスを入れて、まあ、あくまでも個人的感想に基づく、エッセーのようなものだと思ってお読み頂ければと思います。少々長い文ですが、インドの音楽上の特質やインド人の「表現」への向き合い方のようなものが、自然に理解して戴けるかも、と思い書きました。

 家庭音楽というものには普通2種類あるようです。一つはコンサート会場に家族みんなで足を運んでもらうための、親しみやすく健康的な音楽。「ペルシャの市場」とかの音楽を指すそうです。そしてもう一つは、家庭の中で演奏するための音楽。西洋音楽は、元々はこういった感じの「室内楽」というのが根底にあるのではないでしょうか。いろいろな大きさのリコーダーによる合奏とか。それがだんだんと言うか、その芸術性が高まれば高まるほど、技巧的要求が高度になり、やがて演奏家によるコンサートホールでの演奏に、より人々の注意が集まるようになったということでしょう。

日本音楽の特質

 ところで、日本における「家庭音楽」とは一体どんな音楽をさすのでしょうか。ちょっとイメージしてみると、お父さんが尺八、お母さんが三味線、娘さんが琴、というような「三曲合奏」が浮かびます。でもまあ、それは相当な身代の「商家」であって、旦那はんとごりょんさん、いとはんというような、「細雪」の世界のような、限られた家庭の気もします。つまり、余り日本には「家庭音楽」と呼べるようなものは「存在しない」と言ってもいいのではないでしょうか。とにかく明治以後、いきなり西洋の「芸術音楽」に触れた人々は、せっせとその輸入につとめ、とても一から「家庭音楽」を始めて、まあ、そのうちそれが成長を遂げて、立派な芸術になるかもしれない、などというような悠長な心構えはなく、とにかく「負けへんで!」といったバイタリティで、やれ留学だ、やれ外国人講師だ、やれ来日コンサートだ、はては凱旋コンサートだと乗り切って来たのではないでしょうか。

 なぜなのだろう、と考えてみれば、一番の理由は、日本人にとって音楽とは「特別なもの」であった、と考えられないでしょうか。「普通じゃないこと」を表すのが「音楽」。雅楽は何しろ「天空の音楽」ですからね。琵琶は霊魂の招来。能管は鬼神の出現。尺八は虚空の世界への彷徨。歌舞伎音楽は人の心の奥底の愛憎をえぐり出すような迫真性。だからこそ、後年、行き詰まった時代の西欧音楽に、革新をもたらす契機となりえたのではないでしょうか。「現代音楽」と呼ばれるものはかなり「日本音楽」の影響があるのではないかと私は思っています。

 そんなものを「普通の時」の家の中に持ち込みでもしたらさあ大変、大騒ぎと言うか、何かとんでもないことが起こってしまいそうです。それぐらいの同化力とでもいうか、聴く人を取り込んでしまうような力が日本音楽にはあって、逆に言えば、心地よくうっとりなれる、何となく元気が出る、ちょっと憂さを忘れることができる、うきうきと一緒に歌い出したくなるような音楽的な喜びにあふれている、ゲームのような楽しみに興じられる、というような音楽がなかった、と言うべきでしょう。

 そういうちょっとした心の動きのような表現やゲーム的楽しみは、「和歌」や「俳句」「連歌」「狂歌」のような詩文の世界が受け持っていて、多くの一般の人達が気軽に参加していたのですが、一方、そこでのカテゴリーには入らない、手に負えなくなった、もっと「強い心の動き」のようなもの、恋愛やそれが嵩じた心中などという愛憎のこもったもの、復讐や怨念のような根強い心理、死者への哀悼、断ち切れない思いというようなものには「音曲」を付けて、「さあ、これでもか!」と迫る、という文化、習慣があり、それを時々聴くことで、人間社会の心のバランスが保たれていたと言えるような気がします。「鎮魂」的な作用を人は求めるのでしょうか。だから基本的に日本音楽は「劇音楽的」とも言えるのかも知れません。常に人間の存在する「空間」を意識し、その中での「具体的描写音」が「効果音」となって構成されるような。

 落語に「寝床」というのがあって、長屋の店子達が大家さんの浄瑠璃、義太夫を聴かされるというので、その断り方だとか、聴いてもすぐ皆が居眠ってしまうとか、やる方もその辺大変に気を遣って、いろいろもてなしのものを用意したりとか、生き生きとした滑稽さが描かれ、いかにも浄瑠璃の特殊性や素人演者の下手さ加減が原因のようにして、おかしさを強調してるのですが、もし、音楽好きのどこかよその国のお話であったなら、皆が皆、頼みもしないのに演奏に参加して、上を下への大騒ぎとなり、最後に呼び寄せた御主人が「エエイ、もういい加減にせんかい!わしの出番がないじゃないか!!」とかなってめでたしめでたし、「あー、面白かった!」とみんな満足して帰って行くんじゃないでしょうか。それだけで、一つの「オペレッタ」のようなのが作れそうな感触があります。それが日本では、反対に「忍苦」の世界、本来おかしくとも何ともない所を、いろいろシチュエーションを強調することで笑いに変えるという、一つの高等技術による話芸というものになっています。つまり、日本の音楽の一つであるところの浄瑠璃なんてのを、もし一般家庭でやったら「たまったもんじゃない」という「深層心理」みたいなものが下敷きにあるから、成り立つお笑いだと思います。

 もちろん娯楽としての音楽もありましたが、多くそれは宴席と結びついたもので、その道の専門家=芸者衆によって音頭がとられていました。だからそれも「普通ではない」と言えるでしょう。このプロの存在というのが、考察を進める上で重要になってくると思います。詩歌の世界は多くの一般の人々によって支えられていましたが、中にはプロの意識を持たず「余芸」としてしかやってなかったのに、現在ではその道の専門家と思われている人もいるようです。「文化の厚み」とでも申しましょうか、何しろ文字の書けた武士ともなれば「辞世の句」の一つでも即座に捻り出せないようでは、きっと物笑いの種になったのかも知れませんし、町人で教養のある人にとっては、もうこれは遊びの一環、蛇口をひねればジャーッと出て来るようなものだったんではないでしょうか。一日にいくつ俳句が作れるかの競争があったりして。

 ところが音楽となると、ほぼこれが「プロ集団の専有物」となっていたと思われます。江戸時代には多くの職業が定められ、いわゆる「分業化」が進められて行きました。これはどんな商品、工芸品であれ、一人で総合的に作ってしまったんでは、そこに多くの人が係われなくなるので、各工程毎に職業として独立させ、多くの人が生計を立てて行けるようにしていたという事です。染色なんかでも、本当に多くの、専門の職人達によって分業、構成されていました。同じように、運悪く失明した人のためには、その生きる術として、あんまや三味線、琴による音楽などが選択肢として用意され、尺八は「譜化宗」に入った武士のみに許される法器であり、主家を失ったものにとっての拠り所ともなったようです。能や狂言、歌舞伎は「家」が固定され、その関係者のみに伝えられる閉鎖的な環境にありました。

 つまり音楽に関しては、素人衆は立ち入るこのできないもの、敢えて立ち入ってその道の人の職を奪ってはいけないもの、だったようです。もちろん素人で好きな人はいたでしょうから、それを教えるのもまた生計の一部となり、「玄人はだし」というような言葉も生まれたのでしょう。玄人と素人の間には実力的にも社会的にも、一つの「壁」が存在していたというべきです。これは一種の宗教的な雰囲気を伺わせます。葬式が執り行えるのはお坊さんだけ、というような。例外的に音楽が一般人にも許されたのが、「お祭り」の時。1年に一日だけ、「ハレ」の時空を生み出すため、ドンチャカやっても許される。つまり、これも「普通でない」ことを演出するためのもの、その中で、もう「常人」ではなくなった人々のエネルギーが最大限に爆発し、喜びを生み、ケガレを落とし、次の年への刷新を行なうという、社会としてのシステムとして存在していたと言えるのではないでしょうか。

インドの音楽事情

 一方、インドという国ではどうでしょう。この分析は面白いけど「難しいからやめといた方がいい」と言われそうです。何しろ大国です。そして歴史が長い。でもまあ、ここに書いてることはあくまで「個人の感想」ですから、どこまでも実証的にといかなくても許してもらえると思います。

 この辺もちょっと気になる所ですが、どうも日本人は細かい事実にこだわって、論自体を提起したりそれを独自に発展させ、己の血肉とすること――これを「哲学」と呼ぶのではないでしょうか。昔、イギリス人にシタールを習っているとき、よく「お前の哲学(フィロソフィ)は何だ」とか、いきなり訊かれたものでした。日本では高名な「誰か」の考えが多過ぎる気がします――に慎重過ぎるように思います。もっとも、現代はその場限りの「哲学」を披瀝して利を得る、という方法がはびこっていて、というかそれが「融通」というものであり、反対にこういう「哲学」は日本で言う所の「石頭」というのに近いでしょうか。

 前提となる事実は大変重要ですが、「全てを知りえる立場にない」のが人間ですから、己が体験したことから、ある程度の結論を導き出すのも大切なことだと思います。「いやいや、もし間違ってて、それが人様の迷惑にでもなったら大変なことだ」といつまで経ってもはっきりしたことを言わずに一生を終える、というのも何か変です。ちょっと違った事とかを言ってしまったら「あいつ一生恨んでやる!」と言われそうな面が日本文化の中にはあるのかも知れません。友情にも簡単にヒビが入るのが日本で、その点慎重にならざるを得ないのかも知れませんが。

 話が逸れてしまいました。さて、インドですが、私が体験した所では、「家庭音楽だらけだ」と言いたい感じです。もちろんプロと呼ばれる人達は、それこそ「職業集団」として、変えることのできない「家業」「一族の職」として受け継ぎ、数限りなく存在しますが、それに負けず劣らず、一般の人も音楽をやり、それを家庭の中で披露します。つまり、日本の「詩文」に当たるのが「音楽」ではないかと思われます。何しろ、音楽の種類が多く、その数も無限大。そして、才能があれば、新しい曲をどんどん作って行く。私が習っていたプロノッブ・バッタチャリアと言う人はタブラ奏者でしたが、歌も作ってレコード盤にしていました――それが「よく売れた」かどうかは全く知りませんが、一緒に道を歩くと、こういうのがあるとよく歌ってくれました。どれも自作のものでした。

北インドの音楽の歴史や種類

 ここで言う「音楽」は、いわゆる古典音楽を含みません。一応古典は「高雅」なものとして、多くの一般の人からは、少し離れた、高級なもののようです。(もっとも、今現在は、初めてインドに行ってから何十年、ものすごく一般化して来たように思います。)しかし、ここでは「遊び」の一環としての音楽の事ですので、ちょっとこの事は後にとっておきます。プロノッブさんはこの古典音楽の奏者でしたが、作っていた曲はバジャンでした。余り日本のように、ジャンル毎に全く違う世界が広がっているというのではないようです。どの音楽にも「インドの心」というようなものが共通して流れていて、分別もはっきり意識されてないような面もありますが、それがまた魅力ともなっているようにも思います。

 そもそも、これらインドの民衆の歌というものはインド中世に、熱烈な宗教心(バクティ=神への献身)を抱いた聖者=伝道者によって生み出されたと言われ、その歌によって、バクティを理解させ、広めて行ったとの事です。丁度それは、日本の皮聖(かわひじり)と呼ばれる、それまでの形骸化してしまった形式仏教を否定し「南無阿弥陀仏」で救われると説いて、獣の皮を着て街角に立った僧と似ているのかも知れません。あるいは、踊り念仏として知られる時宗の開祖、一遍上人のとった行動かも知れません。そのため、今でもこの宗教歌は、ごく普通にヒンドゥー教のお寺で演奏され、身近な存在として今でもその力は衰えていませんし、また歴史的に見て、古典音楽への影響もおおいにあったようです。多くの古典音楽家が、すなわち聖者であり、多くの曲を残したと言われています。多分、それが「インドの心」と呼ばれるもので、節回しや歌い方における微妙な装飾音や音の震わせ方、ある音から他の音へのスライド音などの付け方を決定づけていて、インドの全ての音楽に、深く浸透しているものだと思います。

 こういう宗教歌(バジャン、キールタン、サンキールタン)の他、各地域に伝わる民謡、結婚の歌、子守歌、ガンジス川と釣り人の歌(バティヤリ)、流行の歌(多くは映画音楽ですが)、才能ある人が残し、スタンダード化した歌曲(ノズルルギティ、ロビンドロションギート他)などがあります。その他にウルドゥー語で書かれた恋愛詩に曲の付いたガザル、それらと似ていて現代的ヒンディー語のヒンディーソング、ベンガル語で書かれたベンゴリ リリックソング、ベンゴリモダンなどもあります。

 また、半ば古典音楽としての歌曲、ライトクラシカルというものがあります。ここでついでですから、インド古典音楽のジャンルについて少し触れておきます。インド古典音楽は大きく大様式と小様式(ライトクラシカル)に分けることができます。大様式には、1.ドゥルパッド(古くからある高雅で雄大、力強い古典曲)、2.ダマール(ホーリーとの関連性、14拍子の曲)、3.カヤール(アラブ語で考え、印象という意味、優美で装飾にあふれていて、現在この様式による演奏を最もよく耳にする)、4.タラナ(意味のないシラブルで歌われる)、5.タッパ(苦行のように速い曲)、6.トゥムリ(カヤールの後に演奏することが多く、カタックダンスから生まれたといわれ、大変装飾の多い魅惑的な音楽)があり、小様式には、1.ダードラ(もともと6拍子のダードラターラで歌われていたが、現在は8拍子のカハルバのものもある)、2.サワニ(シュラヴァナ月=7月、雨期による別離を歌う憧れの曲)、3.カジャリ(やはり雨期に歌われる、恋人に対する乙女の憧れを歌ったもの)、4.チャイティ(チャイトラ月=3月にのみ歌われる春の陽気な歌)、5.ホーリ(ホーリー祭を歌い、喜び笑いにあふれている)等があります。

演奏方法

 家庭音楽として歌われるものは、こういう多くの種類の音楽の中の、もちろんその人の好み、伎倆にもよるでしょうけど、各種の歌曲、流行の映画音楽、民謡の類い、そして古典の中であるとすれば、上にあげた中のライトクラシカルの様式のものだと思います。しかし、ここで大事なことは、それらの「演奏方法」です。歌曲の中にはほとんど古典音楽化して、その演奏法にも細かい指示があって、しっかり習わない限りは演奏できないものもありますが、どちらにしろ多くは、家庭に常備されている楽器で演奏可能なものだ、ということです。これこそが、ここで言う所の「家庭音楽」としての必要第一条件ではないかと思います。各ジャンル毎に全く違う楽器が要求されようであれば、とても一つの家庭でいろいろな音楽をやるのが難しくなってしまいます。例え違う楽器が要求されるとしても、なかったらなかったでいいとか、ないことが平気で許せるような価値観が、社会の共通認識として持たれている、というような条件が揃っていることが必要となります。

 演奏形態は、一人がハルモニアムを弾きながら歌う、もう一人がタブラを打って伴奏する、それだけです。しかし、もうそれだけで「完璧」な音楽的充実感を生み出すことができます。いちいちオーケストラや楽団などは必要としません。なぜ必要としないのか、多くはタブラという太鼓の持つ特殊性にあると思います。打楽器でありながら主音をキープして、音響スクリーンとでも呼べるような、音の背景、空間を作り出し、柔軟性に富んだ低音は、奏者のちょっとした技術で、自在に変化を生み出せる。高音はよく通る、かつ全体と調和した、多くの倍音を含む音が幾種類も出てリズムを受け持つ。テンポが遅くても速くなっても、全く無理のない自然さ、また音量的にもうるさくない、という卓越した特徴を持ちます。

 もちろんハルモニアムは、一見手風琴の一種、小型卓上リードオルガン、しかし、西洋から伝わったそのままではなく、改良の結果、片手で旋律を弾くだけなのに同時に伴奏音も出してくれるという、ありがたい機能が付けられたことによって生まれる重厚感が、派手さはないが歌声をしっかり支えることになり、聴く人にえも言われぬ充実感をもたらしてくれることも見逃せません。(もう一方の手は、風を送るためのふいごを操作するのに使われるため、鍵盤には触れません。)そして、これらの楽器の持つ機能を、「インドの心」によって統一させ、調和させるという、プロでもない一般家庭の人達の妙技。特に技術的に目を見張るものという意味での「妙技」ではなく、恐らくインド人自身からすれば当たり前で、歌うということの前提条件でしかないようなものでも、外国の人から見れば新鮮な驚きに満ちたものの意、こういうのはきっと日本の音楽の中にもあって、例えば尺八の風を切るような音「ムラ息」音などが、えも言われぬ不思議感を与えるのと同じようなものだと思います。

インドの音階と音程の問題

 よく出てくる批判に、このハルモニアムというのは西洋の楽器だし、平均律から外れた微妙な音程は出せないのだから、インドの音楽には不要ではないかというものがあります。もし外国ということが問題であるなら、日本から楽器というのはほとんど消え去ってしまうことになりますし、インドにも外国出身の楽器は他にもたくさんあります。それに、これは大きな誤解だと思うのですが、「微小音程」というものに対する思い込みです。インドの音階そのものが、この微小音程によって構成されている、というものです。確かにそういう面もありますが、アラブ、ペルシャ、トルコ音楽こそがその世界であって、決してインド音楽を一緒にしてはいけないと言うか、そうするとここで言う所の誤解が生まれてしまうことになると思います。

 単純に言ってしまえば、インドでの「微小音程」とは西洋的な「音階」と相容れないものではなく、それらの音それぞれを結ぶ時に当然現われる「途中の音」ということです。スライド音やポルタメントの音というのは途中の音があるからそう聞こえる訳で、ただ西洋ではそれを「微小音程」と呼ばないだけのことです。ビブラートの音に関しても同じことが言えますが、インドではその微小な音程は個人的なものではなく、一つの演奏技術として確立されています。

 音階としては、「ある特定の音階の2番目の音は半音よりもっと低い」とかは確かにあります。しかしほとんどは西洋と同じと考えて差しつかえありません。いたずらに「違い」ばかりを強調することは、自分達のやっていることの特殊性を「際立たせよう」という時には有効かも知れませんが、導入的な意味での紹介では「敬遠」を招き、余り賢明な方法とは思えません。1オクターブを構成する12音をとっかえひっかえするような形で多くの音階を作り出し、それぞれの音階=音の使い方、によって生まれる「雰囲気」というものを重視し、固定化させることで古典としての統一のある音楽を作り出している、ということです。

 音階と言えば、西洋には大まかに長調と短調の2つしかないものが(ギリシア文化まで入れると変わってきますが)、12音をいろいろに組み合わせた音階がインドにはたくさんある訳で、その組み合わせに即座に対応できることを重視するのであるのなら、ハルモニアムでも当然できることになります。多分多くの楽器の中で一番たやすいのでしょう。この点12音以外の音が音階構成音の中にある、アラブ・ペルシャ系の音楽をハルモニアムで演奏することは不可能です。だから用いません。それぞれの国でその国の音楽事情にあったやり方で、外国の楽器が根付いて行くという訳です。

 ハルモニアムを伴奏に用いる場合、音の広がりや厚み、調和を求めるものである限り、微小音程は声が出す訳ですから、全く問題ない、と言えます。また、このスライド音というのは、ピアノにレガート奏法があるように、人間の耳には途中の音が実際は鳴っていなくても聴こえるような気がするものです。そのことを使えば、ハルモニアムも立派な独奏楽器として古典演奏ができなくもなく、実際そういう演奏家も存在します。同じことはサントゥールにも言え、もし途中音が出ない楽器であるサントゥールを古典にふさわしくないと言ってしまえば、それを操るシヴクマール シャルマ氏は大演奏家ではなくなってしまうことになります。

 蛇足ながら、シャルマ氏は、「ばちで叩く」というのではなく、ばちの湾曲部が隣り合う弦の間を引きずるような形で移動することで、微妙な振動を伝えて霊妙な音を発し、いかにも持続的な音変化が起こっているように感じさせるという奏法を編み出すことで、この難しい問題を解決し、カシミール地方の一民族楽器でしかなかったものを古典音楽の世界に移植することに成功し、古典世界に新たな音楽領域――きわめて繊細で、かつリズミカルというそれまで古典音楽がどちらかといえば苦手としていたような感性を開拓し、一大人気楽器にまで押し上げました。

※MP3形式が再生可能であれば、再生されます。
ベンゴリモダンと呼ばれるジャンルの曲を1例として載せておきます。軽い方の歌曲です。ハルモニアムが効果的に使われていますが、多くの楽器の中の一つという扱いで、弾きながら歌うという時の奏法ではありません。耳を飽きさせないために、色々な楽器が使われています。歌っているのは後の方にも出てくるアニタ マジュムダールさんです。

各国の音楽の要素を分析

 では、どうして日本の音楽に、こういうオルガンのような楽器は取り入れられなかったのでしょうか。日本音楽も、この12音(の一部)を使った音階で作られているということでは変わりがありません。私が思うに、いくつかの理由があるように思います。先ず一番の理由は、「日本音楽は音色の音楽」だ、ということです。

 こう言うとまた一つの誤解が生じます。何が原因かといえば、「音色」の持つ意味合いです。同じ楽器でも奏者によって「いい音色」と「悪い音色」があります。しっかり鳴ってないとか、雑に鳴らされてるとか、また楽器の良し悪しは材質が生み出す音色で決まるとか。しかし、ここで言う音色とは少し意味が違います。日本人は日本人の情緒にぴったり来る楽器をずっと古代から選択して来て、共感できない音の楽器は捨てられ、お蔵入りさせられたようで、それらが正倉院にはいくつか見られるようです。

 初めに伝えられた「雅楽」というものはもっと楽器の種類が多かったそうです。しかし平安時代の末期の方でしたか、整理しまとめられ、現在見る形になったようですが、その時「これはどうもしっくり来ないし、もういいか」という「感性による選択」とでも呼べるような方法で、パンパイプやサンポーニャにそっくりの「簫(しょう)」や「古代尺八」、ハープ系の「くご」がお蔵入りしたようです。恐らく、その選択基準は「音色」だったのではないでしょうか。ぴったり来る音色を求めて何千里、もしそれが見つかれば、もうそのことだけでほとんど音楽が出来上がったも同然、つまり「音色」こそが音楽の最大の要素。その時の条件とかでの音色がいい、悪いの「音色」ではなく、もっと不変の、その楽器が本来持っているはずの「音色」そのものに、表そうとする音楽の一番大事な部分を受け持たせているのが日本音楽であり、日本人の音に対する感性なんではないかと思います。それを「情緒的」という概念でとらえる方も居られるようですが、私は敢えて違う捉え方をしています。

 中学校で「音楽の三要素」というのを習いました。「和音、旋律、リズム」というあれです。しかし元々西洋的な意味での和音がなかった日本では、それに代わって、単一の楽器が発する「音色」が大きな比重を占めている、と言えるのではないでしょうか。「和音」というのは、聴きようによっては「響きの陰翳による、一種の音色」と言えなくもないと思います。日本人は、その「和音」の持つ働きを「音色」というものに負わせていた、という仮説が成り立つんではと思っています。

 またリズムも、内容的に余り追求されなかったので、「見た目」が要素の3つ目に入り込んで「でん」と居座っているようにも見えます。日本仏教において、仏像こそがその信仰の対象を一手に引き受けているように、また、神社が森閑とした空間を作ることによって、その信仰心を呼び起こすように、日本人にとってこの「見た目」というのは大変な力を持っていると思います。したがって、楽器を含めた演奏者の「姿、形、所作」が、音ではないにもかかわらず一つの「様式」として存在し、聴く人に「音と一体化した雰囲気」をもたらす働きを持っています。つまり、「音色、旋律、見た目」というのが日本音楽の3要素、といえるのではないでしょうか。

 こういう風に考えれば、日本に同じリード楽器の笙が定着し、織田信長も聴いたといわれるオルガンは残らなかった、というのは容易に理解できると思います。リードオルガンは機能的過ぎて、音色に「きらびやかさ」も「味わい」も「情念」も足りず、3要素を満たさなかったんだと思われます。

 また一方、日本音楽は「間」の音楽だと言われたりもします。しかし何故そうなったのか。これもやはり音色重視から来ているのではないか、と思います。もし、ビートを刻んでしまえば、奏者の注意はそこに向けられ、肝心の音色がおろそかになり、聴く方も何が重要か分らなくなってしまいます。そこで、わざと次に音が発せられるのは「いつか分らなくする」ことで、音色を「聴く」という「集中力」を最大に喚起させる方向へ向かわせているんだと思います。「間」というのは、そういうシステムではないでしょうか。

 さて、インドのことに話を戻します。じゃあ、「インド音楽の3要素」というのは何かとなれば、「微分音をともなう装飾音による節回し、旋律のシステム、リズム周期のシステム」と言えるかも知れません。ちょっと表現がすっきりしなく、単純な言葉3つではないので分りにくいかも知れませんが、これも仮説のように思って下さい。また、ここに「音色」は入れられていません。ということは、音色は二次的な意味しかないことになり、第一義的な「微分音をともなう装飾音」が可能な楽器であれば何でもどうぞ、ということがご理解頂けるかと思います。一応、宮廷音楽として繁栄していた頃であれば、その権威を保つためにも楽器と言えばシタール、サロードという弦楽器のみに演奏の場が与えられていましたが(本当はそれより古くからある楽器もあるのですがここでは割愛)、独立後はその宮廷もなくなり、その理由を失い、実際どんどん新しい楽器が導入されることになって行きました。

 初めは横笛のバンスリーや、オーボエ系のシャーナイという気鳴楽器ですが、いずれもインドの楽器であることには変わりありません。それが段々と幅を広げ、ついには外国の楽器までそこに参入するようになって来ています。もっとも、外国のと言っても、実は古くから他の場面では導入されていて、全く新しいものではない場合が多いのですが、それでも音色重視の日本音楽からすれば、一種、驚天動地のことかも知れません。スライドギター(ハワイアンギター)やサキソフォン、バイオリン、マンドリン、ピアノ、まるで「反古典運動」「アヴァンギャルド」「陳腐な西洋化」といった感じですが、演奏している本人達に余りそんな気はなく、至ってごく真面目に古典に向き合っているし、聴く方もそんなに違和感を感じていないようです。それに刺激され、「日本の伝統もそういう改革を進めなくては」なんて思われる向きが、万が一にもあるかも知れません。しかし、重視している内容、聴こうとしている観点が違うということであれば、安易に真似をする必要はありませんし、導入した途端、日本音楽が違うものになってしまう可能性が大きいのは誰でも分ることだと思います。

 こういうことと関連するのかも知れませんが、日本の人にとって最高の音楽の聴き方は、「生音」で聴くということです。ほとんどの人がそう言うと思います。マイクで音を拾いアンプ、スピーカーを使ってボリュームアップされたものは、何か「真実」ではないものを聴くような気になるのかも知れません。従って、たとえ広い会場でもマイクなし、といった古典発表が多いと思います。場合によっては「今日は特別に皆さんに生音で聴いてもらうことにしました」と、嬉しそうにアナウンスされる場合もあるでしょう。

 ところが、所変われば品変わるの諺があるように、インド人にとってマイクというのは楽器の一部のようなものです。微妙な音、つまり「微分音をともなう装飾音」が聴こえなかったら演奏の意味がないんであって、それを拡声して皆に聴こえるようにしてくれるものは無条件に素晴しく、演奏者からも聴衆からも「可能な限り大きくしてくれ!」という要求が出てくることになります。今でも古典のコンサート会場に行くと、演奏を始めるにあたって必ず「もっと大きく!」という指示が演奏者から舞台袖の音響マンに出されます。お約束です。また、時には反対に聴衆の方から、演奏の真っ最中であるにもかかわらず、それを遮って「もっと音を大きくしろ!」というような要求が、まるで怒号のように発せられることもあります。他の聴衆も「なんて迷惑な!」「マナーを守らせろ!」「会場から追い出してしまえ!」とかの反応は決して見せず、「そりゃもっと大きい方がいいよなあ」というようなシンパシイにあふれた反応を見せるばかり、反対にPAの人はオロオロするばかりです。

インド古典音楽の普遍性

 さて、多くのそれまで古典に使われなかった楽器の音色が、あふれるようになった現在、まだそこに何か「過激」なものを持ち込もうというような動きが見られます。そこに外国人達も大いに係わって来ます。こうなると「音色」に対する寛容性というよりは、音楽システムそのものに対する「全幅の信頼」のようなものを感じてしまいます。インド古典音楽とは大変「普遍的」なものであり、いちいち、ちょっと楽器が代わったからと言って、その本質的な「心」が失われるものではない、というような。また、奏者が例え外国人でも、その理論を理解し、表現方法をマスターすれば、インド人と変わらない演奏ができるという、「普遍性への確信」のようなものを多くの先人達の活躍の中からつかみ取り、今後の発展の方向性を定めているのではないかと思います。

 つまり、そのことはインド音楽の3要素の中の2番目と3番目「旋律のシステム」と「リズム周期のシステム」が持つ「普遍性」であり、結果的に「許容力の大きさ」をもたらしているのだということです。日本音楽の「固定的な音色」というのは、西洋での調和していない和音が許されないのと同じで、非常に厳密に求められます。「その音」が出るようになるためにあらゆる努力を払い、修行を積む訳です。ところがインドにおいては、旋律もリズムも「システム」こそが最も大事なんです。

 しかし、ここでまた蛇足ですが、決してインド人が「音色」というものに「鈍感」だとは思わないで下さい。皆、それぞれの楽器の音色、チューンナップにこだわります。しかし、それは自分にとっての「いい音」「悪い音」というもので、日本音楽のような「表そうとする音楽の一番大事な部分を受け持たせている」というものではない、ということです。もっとも、ひょっとすれば「いや、本当に音色こそが一番大事なことだ」と、演奏者は言ったりするかも知れませんが、じゃあ、なぜ本来「古典音楽」に使わなかった楽器で演奏しても文句が出ないのか?と訊いても、きっと返答に困ることでしょう。「だからそれぞれの楽器の持つ音色が良くなくてはいけないのだ」というような、堂々巡りをすることになるかも知れません。

 おそらく、現代インドにおいて、色々な楽器が古典音楽を担うことのできる、新しい「スター」として次々導入された理由の一つは、この音色の問題だと思います。軽い音楽の場合では、欧米ポップスなどのように和音での変化で、局面を切り替えることができないので、いろいろな音色の楽器を登場させることで、音楽的な変化を生み、マンネリを防ぐ方法がとられます。ところが、古典の場合、途中に違う音色を入れることはできません。しかし、多くのファンを得て、古典音楽そのものの興隆を生むには、何としてでも輝く「スター」が欲しい。確かに演奏家としての「スター」はたくさん育ってきた。しかし、一般大衆を導入するにはやはり「飽きのこない」プログラムを組む必要があり、そう自覚し、すでに「伝統」からの自由を得ていた音楽界は、「新しい楽器」という「スター」に目を向けたのではないでしょうか。一般大衆の中にも地下マグマのように、漠然とした「新しい音色」に対する欲求が潜んでいた訳で、それが受容を可能にしたため、今、爆発、噴出しているところでは、と思います。

インドのリズム

 しかし面白いことに、音色というのは別の面があります。言葉の持つ発音の違いを「音色の違い」として考えてみる、ということです。ある人の声には、固有の音色があります。それによって誰の声だ、と分る訳です。しかし、その言葉が意味を持つのは、多くの発音の違いを感じ取ることができ、その組み合わせが一定の「意味」を作り出しているからでしょう。声の響き方の違いが「音声」の種類を生み出しますが、「響き方の違い」とは要するに「音色の違い」とも言えるでしょう。口腔内の形や大きさを微妙に変化させ、そこに舌や歯や喉やと口の中にある多くの要素が係わって、「あ」だの「け」だの「る」だのを作り出している訳です。

 一方、インドのリズムは普通、「リズム周期」という言葉で表されます。かなり複雑な組み合わせを持ち、かつ長いカウントでできているため、「周期」という表現が必要になって来ます。それを「タンタタタンタンタータタター」というような長短の概念だけでは、「記録はできても記憶はできない」というようなものになり、演奏するには大変な苦労を要することになります。つまり、楽譜を覗き込みながら、必死に音符を追うというようなことに。そこで、それを一気に解決するのが、言葉の持つ「音色」の違いを、太鼓が出す「音色」=「言葉」の違いに置き換えて、代わりをさせるという方法です。この辺の詳しいことは別ページの「タブラ奏法入門」を見て頂くとして、結論を言うとすれば、インドでは「太鼓のリズムは音色=言葉でできている」ということです。もちろん太鼓の音そっくりそのままの音を声で出す訳ではありません、言葉ですから、例え誰が言ったとしても、全く違う声質の人が発声しても、その示すものは同じとなります。この言葉という音色の違いで示されたリズムは、大変覚えやすく、訓練を積めば恐ろしく長いものでも瞬時に覚え込むこともできます。

 もっとも、これは「音色の使い方」の一つの例であって、日本と外国、インドの間に、音色という概念、そのもたらす「効果」に対する認識の違いがあるという、厳然たる事実を否定するものではありません。 あっ、しかしですね、こういう音色に対する自由性というのは古典音楽においてのことで、ポピュラーなものや民俗的になればなる程、音色は固定化されるように思います。音色が土着化しているため、「安心して聴ける」というのが重要になって来るんでしょう。何しろ、映画音楽の女性の歌なんてほとんど長い間一人か二人で吹き替えてたんですから。これは多分、他の声だったら「インドの映画じゃない!!」というような拒否感が強くなるからなんじゃないか、と思います。

インドでの体験から

 さて、これからはもっと具体的な話をして行きたいと思います。私のタブラの先生、プロノッブさんは少し余裕のあるお家をいろいろ回って、そこの子弟に音楽を教えたりもしていました。音楽の家庭教師ですね。一緒によく付いて行きました。オートリキシャーや自転車リキシャーを乗り継ぎしたりして。インドの人に「インドの文化」を受け継ぎ、次代に伝えようという意気込みがいかに強いかが分るというものです。だいたいそこの家には女の子と男の子がいて、それぞれ歌とタブラを習う訳です。プロノッブさんは一人で両方できるから便利です。男の子の代わりに時には私がタブラを弾いたりして、楽しいひとときを過ごしたりしました。その中で、写真に収めていたものをアップします。きっと家族の中とか、親戚一同が集まった折とかに、みな仲良く演奏するんだろうなと思います。

家庭教師写真1 家庭教師写真2
家庭教師写真3このちっちゃな子はお遊びだったのか、はっきり記憶がありません。

 二刀流という点では、もう一人の先生サビール氏も似たような面がありますが、でもウスタード(名人位)ですから、習う方からやって来ます。女の子がやってきて「ガザル」と呼ばれるウルドゥー語に基づく「恋愛歌」を習う訳ですが、実はサビール氏はこの方面でも有名な歌い手です。ずっと昔、驚いて「何で?!」とプロノッブさんに訊いた所、「血だよ」と。お母さんがやはり有名なシンガーだったそうです。(もちろんお父さんは、かの不世出の天才タブラ奏者ケラマトゥッラカーンです。「古典伴奏での現代的タブラ奏法」の生みの親、完成者とも言える人です。)まあ、決して「血」だけでできるものでもなく、英才教育的に習ったんだと思います。タブラのレッスン中でも携帯に誰かからかかってきて、やがて大きな声で歌い出したりします。ははーん、これもレッスンだな、と納得するような次第です。

 パーティーにもよく付いて行きました。ある時、プロノッブさんから「お前のその汚いTシャツでは良くない」と言われ、新しく買って来たボタン式の半袖シャツを出して「これを着ろ!」と差し出され、「俺、嫌だよこんなの!」と拒否すると、もうそれこそプリプリ怒って、自分で着てパーティーに出席していました。そのパーティーですが、アルコールは一切出ません。チャイとかそこで料理されたスナックとかが出ます。「えー、じゃあ何すんの?」という気になります。

 この点、本当に日本とは違います。日本では、人が集まればお酒、なんか知らんけどお酒、夏が来ればビール、お祝いとなればもちろんビール、誕生日にはワインだシャンぺンだ、子供はダメだよと、でも似たような炭酸。そしてのめば皆グデングデン(今はそういうこともなくなりつつあるようですが)。あー、こういう点、まるで東南アジアの山地民族そっくり。竹でできたロングハウスとかにいる現地の人に研究者が会いに行くと、先ずヤシ酒が出て「いいか、ここまで呑め!」とかの応酬が始まって、ロングハウスの全員が飲めや歌えで一晩過ごし、やっと「こいつ、信用できる!」となって取材が開始されるとか。きっとヤマト民族とはそっちの方からやって来たんではないでしょうか。

 しかし、インドは違います。そんな不謹慎なことはしません。誇り高きアーリヤ民族です。音楽があります。ここに載せた写真は、ホストの御主人がハルモニアムを弾きながら歌ってくれています。とても柔らかないい声でただの素人とは思えない、「寝床」に登場の大家さんとは大違いの方でした。もっとも、この時はプロの女性歌手アニタさんも一緒だったので、この写真では大家さんは伴奏の方に回っておられます。アニタさんはプロノッブさんのいとこで、もちろんタブラはプロノッブさんが弾いています。とても印象深い一夜でした。

ダスグプタ、アニタ演奏写真 プロノッブタブラ演奏写真
踊る写真最後は踊りまで、インド女性のこのような自由な踊りは始めて見ました。


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 こんなこともありました。プロノッブさん一族が住んでいた煉瓦作りの家の一番下の部屋が空いていたので、そこを借りて若い嫁入り前の女性に歌を教えるための教室が開かれていました。たくさん来ていたので、ある時「発表会」をすることになりました。「どこでするんだ?」と訊けば「ここで」と。当日は午前中からずっと午後まで歌声が響いていました。発表会ですから一応マイク、スピーカーがあります。でも「えっ」と思いました。そのスピーカーが窓辺に置かれていましたが、驚いたことにその向きが窓の外に向かっているのです。あの演説の時に使う、長い朝顔型のホーンスピーカーです。「なるほど、こうやって多くの人に聴いてもらうんだな」と納得はできました。余り「うるさい」というような概念がないようです。

演奏会写真 演奏会写真
演奏会写真この教室の先生と私、これは別の時に。

 同じようなことがほかにも。プロノッブさんの弟は警察官です。でも根っからの音楽好きで、休みの日には音楽仲間の家を尋ねて「はしご」をします。それにも付いて行ったことがあります。この人、習ったことが一度もないのに、それこそ兄がやるのを見よう見まねで覚えて、タブラの名手でした。古典というのではなく、普通の歌曲の伴奏をするのです。エレキのハワイアンギターを持ってるモダンな青年を訪ねました。ウクレレが出て来そうな感じですが、そうはいかないのがインドです。
弟演奏写真別の機会での弟さんの演奏。

 日本人はその楽器の本来の使い方をしなかったら、すぐ「冒涜だ!」とか言い出すことになります。弾き方もそうだし、弾く曲もそうです。「その楽器にはその民族の魂が宿っている」という考えです。しかし、インド人は違います。どんな楽器であろうと、演奏するのはインドの曲です。別の話ですが、ある時、インドの楽器店に日本の「大正琴」を弾く人がいたので、嬉しくなって声を掛け「これは日本の楽器なんですよ」と教えたつもりで言うと、彼の返答は「いや、インドのだ!」の素っ気ない一言でした。もちろん弾くのもインドの曲でした。(大正琴はインドに結構たくさん出回っているようです。)

 さて、そのハワイアン氏の家ですが、そこでもスピーカーが窓に外向きにおかれているのを発見、「なるほど、インドではスピーカーはこう置くものなんだ」と、その使い道に心の底から納得致しました。インドの映画音楽などの流行り歌、流行った歌、ポピュラーな歌曲などを演奏して、一日が過ぎて行きました。きっとその演奏を聴いてうっとりとなった隣人、町内の人達も多かったと思います。何しろ、自国の、自分が聴いて育った音楽です、皆うまいんです。飽きることのない音楽ということです。

 こういう点、驚くようなことがあったりします。プロノッブさんにタブラを習いに来てる他の若い青年達、タブラの古典であるカイダというものを練習するのですが、余り上手でなかったりします。ところが、その彼がある時こういうポピュラーな曲のタブラ伴奏することがあったんです。すると、きゅっと顔が引き締まり、自信満々私に向かって「見ろっ!」とばかりの表情を浮かべ、それは見事な演奏をやってのけ、驚かしたものでした。
 多くの一般の人にとってタブラとは、別に古典音楽のためにあるのではなく、ごく普通の、自分等が楽しむために使われる太鼓なんです。だから習いに来る目的は「古典を極める」とかではなく、日本でもよくある「ギターをカッコ良く弾いてモテたい!」というようなものと全く同じじゃないでしょうか。いや、全てがと言うんじゃなく、あくまでも、まあ、可能性の問題として…。

タブラ生徒写真ロッギ演奏の得意なタブラ生徒君、教室を出たところ。

 また、ある時は有名な古典音楽の男性歌手、ギリシュ チャタジーさんがプロノッブさんを訪ねてやって来ました。こういう音楽仲間同士の往来は頻繁にあります。そしてそこで音楽です。もちろん自分等でやる訳です。すると私にもタブラをやらせてくれました。それがこの録音です。録音の音あまり良くはありませんが、とても感動的でした。一緒に来ていたタブラ伴奏をやっている弟さんが、いきなりハルモニアムのふたを開け、キーにつながるバネを変なふうにクロスさせ、ウワンウワンと唸りが出るようにして、バックにベース音を鳴らしてくれました。あの当時あれがはやっていたのか?詳しいことは余り分りません。
 帰りがけ、その弟さんが「自分にも教えてくれ」とプロノッブさんに言ってたのが印象的でした。兄が有名だからといって必ずしも兄弟まで、皆何か習っているという訳ではないようです。プロノッブさんの弟と同じで、多分見よう見まねでタブラをやっていたんだと思います。それを外国人がやる、それも途中にちょっと気の利いたことを入れたりなんかする、「んー、俺ももっと習いたい!」という、心の底からの欲求、叫びだったように思いました。

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 お金持ちは時々有名なプロを招いて、家の中でコンサートを開いたりします。もちろんその一家の親戚やお友達もそのパーティーに呼ばれて一緒に聴く訳です。この時の家は大変に大きく、調度も豪華、日本にも行ったことがあると、博多人形が飾ってありましたし、料理もホテルのシェフがやって来て作っていました。演奏家も超一流の売れっ子達。まあ、これは、ここで論じているところの「家庭音楽」とはちょっと違うものになるんでしょうが、でも、家の中で音楽をやるということでは共通感があります。皆ソファーに座ったりカーペット(白い布、演奏の時にはこの白い布を敷くことが多いようです)の上でくつろいだりしながら聴きます。サロードはパルト サロティ氏、シタールはパルト ボーシュ氏、タブラはシャマール サハ氏。誠に豊かな文化が築かれているとは思われませんか?
パルトジュガルバンディ写真

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最後に

 いかがでしょうか、インドの音楽の過剰性。それがごく普通の家庭の中にまで入り込んでいて、人生の中に大きな比重を占めているように見受けられます。インド人もその辺はよく承知していて、ある時プロノッブさんにこんなことを言われてしまいました。「インドが世界に最も誇れるものは音楽だ、お前の国、日本が誇れるものはテクノロジーだ!」さすがにこれにはムッと来て「日本にも世界に誇れる文化、音楽や絵画はあるよ!」と言うと「ダメだ、有名じゃない、ソニーしかない。」と断言。

 プロノッブさんは「テクノロジーも文化の一つ」という認識で言ってた訳で、だから「褒め言葉」だったのかも知れませんが、まだ「エコノミックアニマル」とか日本人が言われていた時代、それに繋がるような「テクノロジー」の表現に嬉しいはずもなく、なおも食い下がって「知らないだけだ!」と、すると「じゃあ、なぜお前は外国に音楽を習いに来てるんだ?それは、お前の国にないからだ。」と。何ともあけすけで遠慮のない、ある意味正しいが、ちょっと文化というものに対する「概念の違い」のようなものを感じました。なんだか喩えば、「うちの国には鉄板曲げの技術がまだ未熟で、とても輸出できるだけの製品が作れない、よし!自分があの文明国へ行って、その技術を学んで帰って、立派な製品が輸出できるようにするぞ!」と同じような感じでインドに来ていると思っているような。ひょっとして、日本とインドが同じシステムで音楽が作られている、とでも思っているのだろうか?インドとバングラデシュぐらいの差だとでも思ってるんじゃないだろうか?と。

 「世界の文化を学ぶ」「希少なものに興味を持つ」「どうしたらあんな風にできるんだ?」「別の角度で自分たちの国を見られるものがあるかもしれない」というような、好奇心のようなものに動かされて、いろいろな国を訪れるようになり出した頃の日本の若い者にとって(最初にインドへ行ったのは1980年のことでした)、外国文化に接するというのは学問の延長のようなものであり、もっと漠然としていて、おそらくほとんど「無目的」なものだったようにも思います。そこに、この唐突なナショナリズムの発露としての文化の比較論、「この人遅れてる!」と思うと同時に「それが世界の現実なんかなあ」と納得したりもしました。まあ、そういうことを学ぶために外国に行き、そこの文化に触れたのかも知れません。

 40年近く前、まだ「はい、インド音楽の奏者になります」というような概念が希薄だった頃の日本から(いや、自分だけだったのかなあ、とも思いますが)、何の当てもなくひょっこりとやってきて、シタール習いたいけど、タブラも同時に習いたいなあ、なんて甘いこと考えていた者にとって、最初の頃、インドはとてつもなくストレスの多いものでした――いろいろな次元で。暑いし、蚊は多い、マラリア熱は出る、頭痛い!死にそうだ、おまけに騙される、英語もっと勉強しとくんだった、お金はどんどん減る、人に迷惑ばかり掛けてる、でもまあ、そこから根性出して、頭の中を整理して、とにかく今回はタブラを可能な限り勉強しよう。それをどうするかは分らないが、それは帰ってから後で考えよう、と軌道修正。

 ちょっとその時、自分は、あの経典をたくさん持ち帰ったといわれる三蔵法師のようだ、という気にもなりました(悟空や八戒はいませんでしたが)。まるでナルシストか何ぞのような喩えですが、この時は本当にそんな気になって、元気の源としました。「インドの伝統を探し、受け継ぎ、すごいものを持ち帰るぞ!」と。しかし、きっと三蔵法師も同じだったんでしょうが、お金にあかして現地のものを買い漁るというのとは違って、とにかくよく練習をして、上達しなかったら次のことは得られません。ずっと弾き続けていても、周りがうるさいからやめてくれ、などという文化ではないのをいいことに、とにかくずっとやりました。本当にありがたいことでした。長く逗留したティベッタンボーディングハウスのママさんやペンバさんに、ここで厚くお礼申し上げておきます。こういう点も「家庭音楽」が発達している文化の優れているところだとも思います。「静寂」を好む日本文化とは違います。

 今思えば、日本に伝えるべきこととは、もちろんタブラの奏法だったりする訳ですが、こういうインドでは「当たり前のこと」というのが大事なんだと、つくづく思うようになりました。「インド音楽の三要素」についてはすでに書きましたが、プロノッブさんじゃないけど、インドの「音楽発展の三要素」というものをもし想定するとすれば、「音楽システムの普遍性、努力の持続性、家庭音楽の充実」と言えるんじゃないかと思います。日本における音楽、それがどういうものかは置くとして、ひょっとして新しいものがこれからまた生れ出るのかも知れませんが、どんなものであったとしても、その発展に必要で重要な要素は、インドにおけるような「家庭音楽」こそが大事なんではないかと思う次第です。

 最後まで御読み頂き、ありがとうございました。
                    <完>

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